こんにちわ、グラックです。

 今日も世間の一般常識からちょっとずれたことを、変わり者がお伝えします。いつものように読み流してください。
 
 さて、世の中には数えきれないくらい心配ごとのタネというものは存在しますが、よくこういう言葉を耳にします。

 「心配かけたらダメだよ」

 ただね、心配する人ってのは何しても心配するんだよね。
 そういう癖、習慣だから。
 そして、心配ってのはきりがない。

 それを「ま、良いっか」って割りきれるかは、考え方の柔軟性が問われるところ。
 
 じつは相手を信頼すれば自然と心配は消えていくはずなんだよね。もし相手に至らないところがあっても、時が来たら自然と学ぶモードに入ります。助言があるならそのときまで待って伝えてあげる。
 この「待つ」ってのがなかなかできないところなんですけどね。

 ただ、命を失う危険性については、相手の学ぶモードに関係なく、うまく説明してあげてください。怒る、叱る、しつける、とは全く違いますよ。理解してもらえるようにうまく説明するんですよ。命の問題であっても、楽しく説明するのがポイント。相手の吸収モードが高まりますから。

 心配とは本来、字のごとく、相手に心を配ることです。相手のことを思いやることです。頭の中で気をもんでソワソワしてるのとは全く違うでしょう。

 相手を思いやることだとわかれば、そういう行動を起こせば良いんです。さっきのうまく説明するとかね。行動することで、いろいろクリアに見えてきます。

 そしてゆくゆくは心配ごとを、ある意味ちょうど対極の存在、「幸せ」に変換できるように。「幸せ」も気付きはじめたらきりがないものだからね。

 
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