グラックです。

ある朝、スマホ運転の車を見ました。

そのときは、

「なんとけしからん!」
「危ないじゃないか!」

とか思いましてね。

でも次の日もまた見かけたんです。

同じ人、同じ場所、時間に。

そのときは、「けしからん!」とか思わないんです。
なぜか。

「あ、あの人ね。いつもそうなんだわ。」

くらいにしか思わない。
私自身、自分の感じ方がガラッと変わるのにもちょっと意外でした。

で、これには何が関わってるのかと、考えると、

「知っているか、否か。」

であるのでは?
と思うわけです。

私の場合、たまたま前の日に同じスマホ運転の人を見て知っていたから、「あ、またか」程度に刺激が薄まったというか。慣れたというか。
しかも、そのスマホ運転が、前の車のブレーキにもしっかり対応して運転されてたので、逆に凄いなって思うほどだったので。

人間、知らないこと、変わることには抵抗を感じるものです。できれば同じ状態を保ちたいというのが本性。

でも、一度知ってしまったら、一度変わってしまったら、

「なんだ、たいしたことないじゃない。むしろ新しい発見だわ。」

なんて感じたりすることもある。

スマホ運転については、一般的には確かに危険。

ただし、わき見運転の要因には、

・バックミラー、ドアミラーによる後方確認
・空調パネルの操作
・窓を開ける操作

など、通常の車の運転に必要なものもあれば、

・コーヒーを飲む動作
・タバコを吸う動作

など、許容されてるものもあるわけです。
これらの要因だって事故の原因になっています。

でも取締りの対象ではない。

それはみんなが、それなりに危険なわき見運転にならないように気を配っているから。

実はスマホだって、捕まらないだけでスマホ運転している人はたくさんいると思います。
でも全て事故に繋がっているかといえばそうではない。
スマホをいじりながらでも、どこまでが本当に危険かをわきまえて操作している人がほとんどだと思います。

そのうち、スマホや車側のハードも熟していけば危険ということ事態がなくなる可能性が高い。

にもかかわらず、スマホ運転を見たときに、なんでもかんでも

「けしからん!」

という思いが発生するのは、世で正論として謳われている

「スマホ運転は危険!」

という刷り込みによるバイアスにかかっているから。

事実、それを一度見て知ってしまえば、スマホ運転が全て無条件に危険だとは言いきれないことが分かってくる。

Webで情報は無数にあり、得ることができます。

でもそれ以上に、自身の実体験で知ること、感じることは、知らず知らず自分がかかっているバイアスから解放してもらえる貴重な手段となります。

ながらスマホも、気持ちはわかりますが、バイアスを溜めないためにも、たまに画面から目を離して、リアルな世界を眺めてみましょうよ。

知るために。

感じるために。

グラックでした。

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